地域のため池を探ろう!

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竜神池(淡路市)

2021年07月06日

(1) 所在地 津名郡北淡町浅野堀越(旧村名机南村浅野々原)
(2) 型式と規模
      型式 土堰堤(下流二段石垣積)
      堤高 16m
      堤長 54m
      貯水量 2800m3
      満水面積 0.7ha

(3) かんがい地域とその面積
 西山池、内田池等4個の池で浅野神田原の水田35haをかんがいしている。
(4) 築造の経緯
 竜神池ほか6ヵ所のため池が造られたのは、江戸末期天保3年(1832年)から慶応2年(1866年)の間である。(神田原開墾事績による)
 ため池が造られた経緯について、津名郡神田原の開墾功労者であった、故神田五作氏の直系神田家に残されている『神田原開墾方案及事績書』によると次のように記されている。
 神田五作氏の父文四郎氏は、常日ごろ、神田原の広い、荒れ果てた姿を見て、これを何とかして、開拓し、美田化する事が出来ないものだろうかと考えていた。
 天保3年(1832年)時の領主、阿波蜂須賀侯に、開墾することを嘆願し許可を得て、大変苦労をし3年の歳月が経過したが、病のため弘化3年12月(1846年)事業の完成を見ずに病没した。
 そこで、五作氏は、父の遺志を継いで、この開墾の事業に、日夜苦労を重ねて20年余の歳月をもって慶応2年(1866年)、開墾事業の目的を完成した。
 この開拓事業は、田22ha余、7ヵ所のため池、9ヵ所の暗渠、溝渠約8,300mの構築をなし遂げた。
(5) ため池、水路構築について
 同じく神田家に残されている『開墾素志目的書』(明治28年作成)により、ため池及水路構築の概要を次に紹介しておく。
 竜神池(反別79.3アール)
 竜神池は、開墾事業の着手と同時に起工し、父文四郎没後2年、弘化5年に完成している。その構築をみると、提体下流は二重の石垣積みで、決壊を防止する工法がなされており、余水吐は高さ1.6m、幅4m余の石垣積で施工している。
 西山池(反別39.5アール)
 池は、村の中間にあって、素河の用水源となっている、天保5年(1835年)着手し、同6年の春に完成。同年8月、大雨のため決壊したが、その直後に復旧工事を行い、現在に至っている。
 内田池(反別15.6アール)
 この池も素河の耕地にかんがい用水として利用し、その水路は山の下をくぐり、長さ約100mの水洞(トンネル)を構築した。地盤甚だ堅く、工事は難行しただ、用水路としての価値が高いものであった。
 この外4ヵ所のため池の構築、合わせて7ヵ所のため池が完成したのである。
 水洞(堀抜)9ヵ所  水洞はもとより、広かったり、また狭かったり、長短の差があるが、洞の中は、首をまげたり、腰をまげれば、通行管理ができ得るようにもなり、樋を埋めて水を通すような工事の配慮をしている。