地域のため池を探ろう!

地域のため池を探ろう!

田口池(たぐちいけ)

2020年08月26日


(1)所在地  丹波篠山市丹南町真南条上

(2)型式と規模
  型式   中心刃金式土堰堤
  堤長   13m
  堤高   130m
  満水面積 2.4ha
  貯水量  103000立方メートル

(3)かんがい地域とその面積   
  丹南町真南条上、中
  かんがい面積 42ha

(4) 築造の経緯
 このため池の上流200mに天台宗の名刹大平山竜蔵寺がある。田口池は竜蔵寺と共に広く郡民に知られ一名竜蔵寺池とも呼ばれ、その築造の経緯は次のとおりである。
 寛政11年(1799)は、かんがい期の降雨が特に少なく、5月16日から、90日も旱天かんてんが続いて大干ばつとなった。ときの藩主青山忠裕候は、代官に命じて領内の各所にため池を築造する計画を立てた。
 その1つとしての田口池は翌12年3月、竜蔵寺の敷地で起工し、9年の歳月と、3万5000人余の人夫を使用して文化6年(1890)3月、竣工した。
(注) 田口池築造の記録は、池畔に建てられている「田口池改修記功碑」による(記功碑の碑文は最後に掲載する)
 参考に、竜蔵寺のことと当時の篠山藩主の事績を紹介する。
 竜蔵寺は、山号を大平山と称して法道仙人の開基であるといわれる名刹である。盛大なる時は72宇を数えたという。現在は一坊であるが渓谷の自然美はさながら仙境の感があり、精神修養の道場でもある。項上には、将軍地蔵の愛宕大権現を祀り、忍が滝、仙人岩、椎児塚等の名勝があり昔の薬師堂の広大な跡や、その他寺院跡が数多く残っている。
 篠山藩歴代の城主で名君といわれた殿様は必ず土木工事(中でもため池工事)と、お寺や神社の造宮に力をそそいでいる。藩の安泰は、領民の精神的、物質的な安定を第一とし、そのためには主食である米作りに最も大切な水の確保と、心のよりどころとしての神仏を祭ることが、当時の人心を掌握する最前の施策であったように思われる。

(5) 改修の経緯
 築造後は損傷する毎に、修復を続けてきたことはいうまでもないが、近年の大改修としては、大正13年の大干ばつに見舞われ収穫皆無に近い大被害を被り、これが契機となり翌大正14年11月に着手し、同15年10月に完成した造築工事である。これに要した事業費は、2万5000円余と記録されている。
(注) 改修記功碑(最下部に掲載)
 増築後も、地域の宝として大切に守られてきたものがあるが、50年余の星霜を経て、洪水吐、堤体前法が老朽したため、昭和56年度より、ため池等整備事業(大規模県営事業)により、全面改修に着手した。
 その概要は表1のとおりである。

「田口池改修記功碑」碑文
『城南村真南條上中二區は土地高燥にして古来田口森の一小池ありしも水旱に苦しむこと多し旧篠山藩主青山忠裕公深く之を憂ひ村民の為め太平山龍蔵寺の遺跡に於て池を壙む工を寛政かんせい①十二年三月に起し之を文化ぶんか②六年三月に竣ふ歳を閲すること九星霜役夫凡そ三万5千丁事業の難き想うへし地名に因て田口池と稱す爾来一百餘年居民水旱を免かれ長く徳澤を享く公閣老に列する三十餘年上は皇室を尊ひ幕府の重を為し下は善政を布て徳澤民にふ③す洵に明君の名に負かさるなり然るに歳月を經る既に久しく池亦淤泥おでい擁塞ようそく④を免れす大正十三年の大旱潴水涸渇田畝裂殆んと秋獲なし二區の人士奮然蹶起耕地整理組合を作り十四年十一月二十六日工を興し淤泥を浚渫し提塘を高くし水域を拡張し旧制に鑑み更に幾多の増設を加ふ其水深の如き曩日どうじつ⑤に倍するものあり十五年十月十六日之を竣ふ工費二萬五圓水面積二町餘水量一萬五千五百餘立坪にして灌漑面積四十町餘に達し旱天六十餘日を支ふるを得二區一百二十戸長く其慶に頼り久旱と雖も涸渇の災厄を免かれ得へし其功大なり後人深く藩公百餘年前の恩澤を憶ひ更に今次百難を排して此大改修を完成したる組合員及関係人士の勞苦を顧み保護管理を鄭重にし潴水涵養を確実にし前人の効果を永く後世に垂るることを勉めは庶幾くは百世相頼るの慶澤を享受するを得ん仰き観れは太平の山愛宕の峰秀靈鬱蒼長く水源を涵養して斯民しみん⑥に幸し昭和の新政幇助するものの如し乃ち略新旧の事蹟を叙して後昆こうこん⑦に資す
  昭和二年十月
  兵庫県多紀郡自治協會々頭 従四位勲三等功四級 古川岩太郎 撰』

1 所在地 多気郡丹南町真南条上(今の丹波篠山市) 田口池左岸(西側)余水吐の上流池畔
2 ふり仮名は編集者が付した
3 原文は、カナ書きであるが、かな書きで掲載している
寛政かんせい十二年=1800年
文化ぶんか六年=1809年
す=はぐくみ育てること
淤泥おでい=泥のこと
擁塞ようそく=おしこめてふさぐこと
曩日どうじつ=さきこご、以前のこと
斯民しみん=この民
後昆こうこん=子孫の仲間

※ 本文は、「兵庫のため池誌」(昭和59年発行)第四編各地のため池築造の歴史から一部加筆訂正して転載しています。