地域のため池を探ろう!

地域のため池を探ろう!

観音寺池(豊岡市)

2021年06月24日

(1) 所在地 豊岡市出石町福見字観音寺口
(2) 型式と規模
      型式 土堰堤
      堤高 22.7m
      堤長 70.0m
      貯水量 103,000㎥
      満水面積 1.6ha
(3) かんがい地域とその面積 出石町荒木、平田、細見の水田54ha


(4) 築造の経緯
 旧室埴村の菅谷地域は、概して平坦な耕地であるが、水源である菅川は夏になれば、ほとんど伏流し、これに加えて安全な取水施設はなく毎年のように干ばつ被害に見舞われていたようである。
 ちなみにため池築造当時の計画書によれば、昭和3年より同14年までの11ヵ年(但し昭和9年は台風災害により除く)の干害による平均減収被害は14%であり、特に昭和14年の被害は甚大で連続干天日数は実に41日に及び平年作の47%の減収に達し、免租地積が25.5町歩にもおよんだことが記されている。
 平年でさえ用水不足を来す当地域では、数十年来からため池の新設が懸案であったが、昭和14年の干ばつが切っ掛けとなり、当時早害防止農業水利事業を実施するには、100町歩以上の受益が必要とされた関係から、出石川掛りの41.4町歩を含めた菅谷耕地整理組合を設立し、大字福見字観音寺口に、ため池を築造することを決議し、昭和15年に事業採択になり、地元直営で工事に着手した。
(5) 工事の概要
 当初の事業計画では、昭和15年より3ヵ年とし、村をあげての大事業であるため、当時の斎藤村長自ら陣頭指揮に立ち、会計係に収入役を当てた。
 しかし昭和15年は日中戦争たけなわ、又翌16年12月には、更に、太平洋戦争を迎える等最大の国難に遭遇し、工事用資材並に労力の供給は、年を追うごとに厳しさを増していった。
 人夫の確保は受益農家から、強制的夫役賦課も試みられたが効果なく、度々、工事中断の危機に陥った。
 食糧増産は国を挙げての課題であったため、遂に学徒動員による労力援助を受けることに至った。
 上郡農学校(現在は上郡高校)の学生40名が一隊として組織されて、福見地区公民館に合宿し終日勤労奉仕に汗を流し、築堤工事に貢献したことが、今もこの地に語り伝えられている。
 幾多の苦闘を乗り越え昭和20年の末に6年の才月を費やし竣工することができた。
 新設された観音寺池の概要は表1のとおりである。

(6) ため池改築工事の概要
 昭和20年末に完成し、翌21年から貯水を始めたところ、堤体法尻と樋管部からの漏水が発見され、これが年を経るに従い漏水量は増加し、このため池は次第に危険視する声が高まってきた。
 これがため、昭和25、26年度の2ヵ年にわたる補強工事を実施した。
 この工事内容は堤体中心刃金のグラウト、伏樋管の補強(800mmのヒューム管が使用されているが、中心刃金河流部約7m区間に亀裂を生じ多量の漏水があるため、この区間に600mmのヒューム管を挿入し、グラウトにより止水)及び落石等で崩壊した洪水吐と斜樋管の改修工事を、完成5年後に251万3,000円余に及ぶ多額の改修費が費やされた。
 然るに、樋管よりの漏水は首尾よく止まったが、堤体部の漏水は関係者の期待をむなしく依然として止まらず、ついに「室埴の池」と言えばたまらぬため池のため池の代名詞となっていった。
 満水することなくその後放置されていたが、民生の安定と、用水の確保のため、昭和48年度より県営ため池等整備事業により大改修を行った。
 その概要は表2のとおりである。

 昭和15年の着工以来37年の才月を経て、幾多の苦難な道を歩んでようやく、安全な姿となり今や、満々と水を湛え四季を彩る山々を水面いっぱいに映している。
 (注) 参考文献(観音寺池管理組合に保存されている左記の図書によった)
 1. 干害防止農業水利改良事業設計書(菅谷耕地整理組合)
 2. ため池復旧事業計画書(昭和26年)