入ヶ池伝説
2021年04月13日
稲美町の蛸草村では、村人たちがため池の築造にかかっていました。
しかし、せっかく築いた堤防が、どうしても水に流されて、ため池ができあがりません。
なすすべもないまま空しく十数年という月日が過ぎ去ったある日のこと、この村を開墾した藤原弥吉四郎の孫である光太衛の夢の中に一人の僧があらわれ、「堤防を6枚屏風の形にし、北の山際に“うてみ(洪水吐)”を造るとよい。
造っているときに、そこを一人の美女が通りかかるであろう。その女を人柱にすれば、きっとため池ができあがるであろう。」と言いました。
光太衛は村人たちを集め、お告げの通り、池の築造を進めました。
すると、二十日ばかり過ぎた頃、お告げの通り、一人の美女が通りかかりました。村人たちは直ちに捕らえ、堤防の柱としたのでした。
その女の名を「お入」といったことから「入ヶ池」というようになったそうです。https://m.youtube.com/watch?v=XAWG_VEF_2Y
