ため池の紹介
寛政池紀功碑(明石市大久保町西島)
2022年05月29日
寛政池紀功碑が西島に建てられた理由は以下の通りです。
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江戸時代、西島地区などは、長谷池、大池、皿池の3つのため池に灌概用水を頼っていたが、これらため池の用水は、明石川からの林崎掘割とその延長の大久保掘割、瀬戸川からの庄内用水から供給されており、どちらも最下流であったため水不足に悩まされていた。
寛政12(1800)年、明石藩郡代所は西島など3ヶ村に農業用水池造成の計画の提出を命じた。瀬戸川の上流、今の神戸市西区岩岡町に新池を築造する計画書を提出し、これが認められ工事はこの年4月に着工、7ヶ月後に完成、「 寛政池」と名付けられた。
記録によると、明治26(1893)年の大干ばつのため、他村では水不足に苦しんだが、西島など3ヶ村は、この寛政池により水不足に悩まされることはなかった。そこで寛政池の恩恵に対し有志が先人の功を讃え、翌27(1894)年に、この地(西島大池のそば)に記念碑を建てた。