地域のため池を探ろう!

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安政池

2021年04月26日

安政池(現安政ダムの元池)

(1) 所在地 加東市東条町松沢大深屋
(2) 型式と規模
    型式 土堰堤
    堤高 15m
    堤長 77.4m
    水面積 1.8ha
    貯水量 83000m3
 (注 ため池の諸元は古文書による)

(3) かんがい地域とその面積
 安政池の北側にあった奥池と合わせ、東条川右岸までの耕地22haをかんがいしていた。
(4) 築造の経緯
 安政池築造の契機について『安政池普請諸払帳』(松沢区長所蔵)の前書によると、次のように記されている。
 加東郡松沢村は、往古より養水不足による常習干ばつで悩まされていた。特に寛永年間(嘉永6年=1853年)の干ばつは記録的なものであった。稲田の養水はおろか井戸水すら涸れ果て、草木の葉も色も変えてしまう状態であった。
 逃散寸前まで追い込まれた村人たちは、協議の結果、恒久的に養水を確保するため、字大深谷に適地を見立てて池の築造にふみ切った。安政3年(1856年)2月のことである。
 村の総力を傾けて造った池の規模と、工事に要した諸費は次のように記されている。
   築堤の長さ 四三間(77.4m)
   面積    二町四反余(約2.4ha)
   木樋の長さ 二八間(50.4m)
   所要人夫  延べ5,389人
   諸費用   銀二三貫四九匁余
安政5年2月24日、丸2ヵ年の歳月をかけて神瀬にした新池は年号をとって「安政池」と名付けられた。以来、松沢村は干害からのがれることができたといわれている。
 (5) ため池記念碑について
 安政池の永代供養を行う為、新たに弁財天を勧請し、大般若経をたむけ、相撲を奉納してその喜びを分かち合い、池畔にため池記念碑を建てた。  碑には次のように刻まれている。

 
 

左横 安政6年3月建之 施主村中
右横 建処以還上月社 庶民無不歖腹撃壊也
東渓松沢村旧有漑水 更一池築以備早
之歳辰 号安政池 於是午期乃□喜雨乃歓也
里人集而歌日    此いけの恵に咲や松の花

裏 世話人   発催
        伊左衛門
        秀右衛門
        虎右衛門
        芳兵衛

        庄屋
        文右衛門
        年寄
        八佐衛門
        西小沢村
        黒鍬
        角平

  池田村   石工
        源兵衛

(6) 安政ダムのこと
 約100年前に造られた安政池は、昭和22年着工した国営東条川農業水利事業による鴨川ダムの補助ダムとする目的で、旧安政池と奥の池を併せ旧安静池の約7倍の貯水量(558000m3)を持つ「安政ダム」として、33年に着工し、38年10月生まれ変わった。  安政ダムについては東条川農業水利事業の沿革で詳述する。
(注)参考文献
 中東条村誌・加東郡誌
 東条川工事誌(近畿農政局)

※ 本文は、「兵庫のため池誌」(昭和59年発行)第四編各地のため池築造の歴史から一部加筆訂正して転載しています。