地域のため池を探ろう!

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【神戸新聞記事R4.8.3】1300年前、美女を人柱に築造…「入ケ池」伝説は真実? 稲美の住民ら、ひも解きに挑戦

2022年08月03日

 約1300年前に、美女を人柱にして築造したとの伝説があるため池「入ケ池(にゅうがいけ)」(兵庫県稲美町北山)について、地域に伝わる古文書の解説などをまとめた冊子「入之池(にゅうがいけ)由来記」が発行された。地元の芸術文化団体「印南野(いなみの)半どんの会」による機関誌「印南野文華」別冊特別号。編集メンバーは「水不足だった地域は、入ケ池ができたことで発展した。稲美町の発祥につながる物語を、後世に伝えたい」とする。
 伝説は、稲美町が蛸草(たこくさ)村と呼ばれていた奈良時代の話として残る。

 朝廷の役人が開墾し田畑を作ったが、水が足りず、ため池を考案。だが池を築く度に雨で堤防が壊れた。714年、開墾した役人の孫で、ため池築造に苦心していた藤原光大衛(みつだいえ)の夢に、僧が現れる。僧からは、堤防を六枚びょうぶの形にし、通りかかった美女を人柱にすればいいことを教えられた。光大衛らは言われた通りに堤防を造り、工事中に見かけた「お入(にゅう)」という名の女性を捕らえ、堤防に埋め込んで人柱とした。それからは、決して堤防が崩れることはなかった。
 この伝説は、古文書「入之池由来記」に記されていたとされるが、現存していない。地元の川上真楽寺(しんぎょうじ)では、お入の命日と伝わる5月12日に、住民らが毎年、霊を鎮める法要を営んでいる。
 今回発行した冊子には、同町出身の国文学者で同会初代代表の故中嶋信太郎(のぶたろう)さんが、1985~87年に「印南野文華」に投稿した文章5本を収録。明治期の研究者が「入之池由来記」を読んで解説した漢文の「入之池記」を説明している。
 中嶋さんは「伝説は歴史ではない」としながら、「荒唐無稽と思われる場合でも、そこには多くの、あるいは確かなる真実を含んでいることが多いものである」と指摘。堤防築造の技術は、渡来人がもたらした可能性があると推察している。
 このほか、同会前代表の坂井永利さん(81)=同町岡=や郷土史家が考察をつづった文章、地元の短歌グループが入ケ池を題材に詠んだ作品も掲載した。
 冊子は同町北山出身の元高校教諭、小山初穂(はつほ)さん(73)=神戸市垂水区=が坂井さんに提案し、ともに編集した。小山さんは「かつて地元の子どもは入ケ池の伝説を聞いて育ったが、核家族化で途切れようとしている。あらためて多くの人に知ってほしい」と話す。800円(税込み、送料別)。A5変型判、62ページ。

■神戸新聞NEXT 東播 ホームページ
https://www.kobe-np.co.jp/news/touban/202208/0015523049.shtml
■ため池保全県民運動 ホームページ 入ケ池(にゅうがいけ)について
https://www.hyogo-tameike.com/introduction/2341/