大杣池(おおそまいけ)伝説
2021年04月20日
(1) 所在地 神戸市北区淡河町野瀬
(2) 型式と規模
型式 土堰堤
堤高 12.4m
堤長 130m
満水面積 3.3ha
貯水量 135000m3
(3) かんがい地域とその面積 神戸市北区淡河町野瀬の水田、ほかの池と合わせ24.8ha
(4) 築造の由来 江戸時代の中期、延享2年(1745年)に築造された、と美の郡誌に記載されているのみで、詳細は不明である。
(5) 大杣池伝説
山の中にある大杣池のおかげで、ふもとの村はゆたかでありました。
しかし大雨が降りつづくと、しばしば池の土手が切れて、田畑は洗いけずられ、家も水につかり、数年の間はひどい暮らしがつづくのでした。
村人たちは、なんとかならないものかと何度も集まって相談しました。
「ひとつだけ方法はある……」と村の老人が、いい伝えられてきた方法を口にしました。
しかし、それは、切れた土手の底に赤牛を生きうめにして土をかけ、土手を築きなおすというむごい方法で、なかなか実行にうつされることはありませんでした。
ところが、たびたびの災害にうちひしがれていた村人たちは、ついに赤牛をいけにえにする決心をしたのでした。
くじ引きで選ばれた牛は、きれいに洗われ、飾りたてられ、最後においしいえさを与えられました。
かい主や村人にひかれて大杣池まで登り、太いクイにゆわえつけられ埋められていく牛は、ただただ「モーウ、モーウ」と鳴くだけでした。
ついに背中まで土に埋まった赤牛は、最後に首を高くあげて、力いっぱい「モーウ」と叫びました。
こうして土手は再建されましたが、人々の耳の奥には、いつまでも、最後の牛の叫び声が長く残ってひびいていました。https://bunbun.hatenablog.com/entry/2016/06/01/103813