地域のため池を探ろう!

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甲池(姫路市)

2021年06月29日

(1) 所在地 姫路市豊富町江鮒
(2) 型式と規模
      型式 前刃金式
      堤高 4.6m
      堤長 450.0m
      貯水量 149,000m3
      満水面積 9.8ha
      (注) 昭和58年度、改修後の資料による
(3) かんがい地域とその面積 豊富町のうち、太尾、江鮒、重国、酒井、津熊、金竹の水田55.0ha
(4) 築造の由来(史話)
 明治42年の播磨史談会発行の「播磨鑑」や、昭和17年発行の「神崎郡誌」をひもといても、甲池の起源については何の記録も見当たらない。しかし、色々の点から推定してその築造はかなり古いのではないかと考えられる。
 たとえば、円通寺開起略縁起〔暦応二卯歳(1339年)3月8日開基夫人水月院円通妙応大姉石牌有〕にも「かぶと池」という池の名前が出てくる。即ち、世間によく知られている高武蔵守師直が塩冶判官高貞の御台早田夫人に横恋幕した物語である。師直の追手の兵が早田夫人を酒井村(現姫路市豊富町)に追い詰めて、御台はじめ従者が皆死んだ時、従者の一人である八幡六郎の最後の様子を、円通寺開起縁起は、「六郎最後にかぶとを脱いで池に棄て、腹かき切って死す。今のかぶと池是なり。」と記されている。
 この縁起から考えても、今から640余年間にはすでに甲池は存在していたことになる。播磨の国の御立組、太尾組に属するわれらの先祖は、それ以前より甲池を利用して水稲を栽培し生活していたことであろう。そうすると、この甲池はすでに千年に近い歴史を持った古い池であると推定してほぼ間違いない。

(5) 築造の経緯
 築造の経緯といっても、現在甲池郷に残っている最も古い記録が明治初年であるから、最初の池の形や広さがどんな規模であり、それがどのように改築されて現在のような大きな規模の池になったかは知る由もない。
 しかし、池を新設する条件として、流域がほとんどない平坦地の真中に造るということは常識として考えられない。
そこで、次のようなことを類推するのである。
 自然地勢的に想像されるのは、現在甲山の北側を流れている平田川は、城山の麓を太尾の方へ南流し、現甲山を河筋として現仁豊野橋付近で市川の本流へ流れ込んでいたもので、その平田川の渓谷を堰きとめて出来たのが甲池の起源ではないかと推察される。
 この類推は東播の小野市役所の東にある「小野大池」築造の経緯でも述べられているが、地形的に考えて隠当なことでないかと思われる。


(6) 改修の経緯
 改修の経緯については、明治以前のことは全然記録になく、明治中期に作成された池台帳によって明治期の改修歴がわかるだけである。
台帳によると表1のように記載されている。
 このような小修理が、大正期に一回、昭和期に入ると実に五回の改修が行われたが、抜本的な改修でないため近年の至って堤塘の老朽がすすみ危険な状態になってきた。
また、この池の堤塘は市道にもなっており、通学道としても利用され、早期改修が望まれていた。

 そこで関係者は昭和54年大改修をすることに決め、ため池等整備事業(大規模・県営事業)として昭和55年度より工事に着手し、堤体等の全面改修を実施した。
 その概要は表2のとおりである。

(注) 参考文献 甲池水利組合の所蔵資料