地域のため池を探ろう!

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赤渕池(養父市)

2021年05月26日

(1) 所在地 養父市八鹿町大字八木赤渕
(2) 型式と規模
     型式 土堰堤
     堤高 4.1m
     堤長 80m
     貯水量 3,300m3
    満水面積 0.18ha
(3) かんがい地域とその面積 八鹿町の南西部旧畑ヶ中村の地域で、5.0haをかんがいしている。
(4) 築造の由来
 赤渕池は、下八木村(八鹿町)に残る古文書によれば、古くは畑ヶ中村の取水源として今滝寺村の水山にあった溜井を、その後の人口増加と開田による用水不足を補うために、位置を八木村の八森の1つである赤渕大明神のお社跡に移転し、天保2年(1831年)に築造されたものである。
(注) 下八木村に残る古文書について  下八木村の彦右衛門方に残る寛永20年(1643年)末の書状による伝授書である。(5) 赤渕池にまつわる水論について
 赤渕池は先に述べたように、畑ヶ中村の用水源としてあった今滝寺村の溜井が起源であって、池としての規模も水量も極めて小さかったため、常に用水不足に悩まされていた。ところが次第に人口も増加し開田されるようになって、いよいよ困って、本村へ相談せず生野支配に池の普請を願い出たため、本村との間がこじれて訴訟になり、築造の許可が出ないまま日々が経過した。その後文化年間に起こった大火や、天保年間の大干ばつによる大きな被害を受けたため、時の代官鈴木半十郎により、ため池築造の許可が出て天保年間に完成したものである。
(6) 赤渕神社と赤渕池について
 赤渕神社は、古来より「八木の八森」といわれた8つの神社の1つで、八木氏の時代には八木氏の守護神として祀られていたと考えられる。その後八木氏の滅亡と共に行方不明となっていたが赤渕池築造の際、八間四方八角の根柱が発見され、又茶臼銭開元通宝十二貫匁の出土を見たため、地名の赤渕と合わせて赤渕神社跡と推定されるのである。
 そこで村人たちは池敷にお社跡が発見されたことは、赤渕大明神に引き合わせとして敬い、お社を再建し今度は池の守護神として祀り現在に至っている。
 (注) 八木氏について
 但馬八木地方の豪族(1399~1445年)
 赤渕池より南方に八木氏の居館があったと考えられる。地名にも殿屋敷、的場と言ったゆかりのものがある。(八鹿町史より)
※ 本文は、「兵庫のため池誌」(昭和59年発行)第四編各地のため池築造の歴史から一部加筆訂正して転載しています。